第14章 人間──II 社会性
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クリストファー・ナイト
1990年代のいつ頃か単独行のハイカーとちょっとやりとりしたのを除けば、2013年の3月に至るまで27年間、社会的相互作用なしで過ごした
人と接触するのを避けるべく、火も焚かずに冬を乗り切った
人間は霊長類の中で最も社会性が高いが、その度合にはかなりの個人差がある
平均的な人は社会性が高い方より
内向的か外向的かという性格特性を、社交性の大まかな尺度として用いることができる
内向的な人に比べ、外向的な人は精神の健康を保つために社会的な相互作用を多く必要とする
実際、内向的な人には人との相互作用から解き放たれて一人になる時間がある程度は必要で、そうしないと心理的に落ち着けない(Cain, 2013)
社交性が極端に低い人であっても、精神的な健康を保つには社会的な相互作用が必要
社会的な相互作用は人間らしさのまさに中核の一部になっているから
知性ではなく、社交性こそが、人間が地球を支配する上で最も重要な要因
チンパンジーやボノボは高度に社会的な生き物であるが、人間に比べれば隠遁者
もし、ボノボが人間にとっては普通の人口密度で過ごすことになったら
かなりのストレスを受け、社会的な秩序などかけらも現れないだろう
ペニスフェンシングやホカホカ、オーラルセックスや異性間交渉をいくら行ったとしても大虐殺が続くのを阻止することはできないだろう
しかし最近まで、他の類人猿と私達の違いについて取り沙汰する際、社会性は軽く扱われてきた
例外は、エドワード・O・ウィルソンの『人類はどこから来て、どこへ行くのか』である(Wilson, 2012)
その代わりに強調されてきたのは、ヒトの大きな脳、言語、手先の器用さ、直立二足歩行
どれも重要な要因ではある
しかし、こういった特徴があったとしても、もし社会性がボノボと同程度だったとしたら、イアン・タッタソールの言葉を借りるなら、ヒトは「地球の支配者」にはなっていなかっただろう
実は、これはタッターソルの本の書名である(Tattersall, 2012) 原題はMasters of the Planet(邦題は『ヒトの起源を探して』)。そして、わたしが辛い経験から学んだように、このこと(社会性が高いために人間が地球の支配者になれたということ)は、必ずしもタッターソルが考え出したものではないし、立証したものでもない
なんでもそうとは限らない
「なんでもそうとは限らない」はガーシュウィン兄弟のオペラ《ポーギーとベス》のなかの曲であり、登場人物のスポーティング・ライフが聖書に書かれた話に疑問を投げかけている。リチャード・レウォンティンは、同じタイトルの著作で、ヒトゲノム計画が医学に「奇跡」をもたらすのだという信奉者たちの期待に対し疑いを表明している(Lewontin, 2001)。この節では、進化生物学を人間のあり方に安易に適用するという、進化心理学にありがちな態度に対する懐疑を示すために、レウォンティン風にこのフレーズを用いた
どの生物のどの形質についても、それが進化してくるにあたって自然選択が果たしてきた役割を特定するためには、多大な独創性と努力が必要になってくる
現存する形質が何らかの選択によって生じたのかどうかを決定しなくてはならない
次に、ある形質を対象とする選択(selection for a trait)なのか、ある形質の結果的な選択(selection of a trait)なのかを区別しなくてはならない
つまり、選択の対象となった形質と、それに関連する副産物的な形質を区別する必要がある
実験室で人為選択する際には、これは容易に区別できる
野外研究でも実験的な操作を行うことがあり、細心の注意をはらい時間と労力を費やしたものからは、説得力のある事例が多数得られている(Endler, 1986; Losos, Schoener, & Spiller, 2004; Losos et al., 2006; Reznick & Ghalambor, 2005; Butler & King, 2004
祖先と子孫の形質の状態が分かれば、大いに手助けになるのはもちろんだ
人類の形質のうち、歯や骨、脳のサイズなど化石化するものは、認知や感情など化石化しない形質に比べてかなり恵まれた状況にある
行動はその中間的なものだが、骨よりは認知の方に近い
行動は化石化しないが、行動により作り出されたものは化石化するものもある
実験による対照群が十分に得られない場合は、次善のアプローチは系統学と生態学の情報を組み合わせること
これは「比較法」というもの(Felsenstein, 1985; Martins & Hansen, 1997)
物理的な環境や生物学的環境、あるいは社会的環境において、ある特定の面だけが異なる環境に生息する近縁種を比較すること
適応的推論に関する比較法の限界についてはLeroi, Rose, & Lauder, 1994を参照。Brooks & McLennan, 1991は、行動学への比較法の応用について書かれた書籍である
このように系統関係に基づき、近縁種を生態学的に比較することにより、ある特定の形質を対象とする選択について予備的な推測が可能になる
残念ながらヒトは比較法には適さない場合が多い
ホモ属の唯一の生き残りであり、現生の最も近縁な生物から分岐したのは700万~500万年前
これを「サンプル数1(N-of-1)」問題と呼ぼう
人類進化の研究には「サンプル数1」問題が必ずついてまわるわけではない
比較法は脳全体のサイズや大脳新皮質のサイズなどの形質には効果的に適用できる
この場合、他の霊長類と比較するのはまったくもって妥当なことだし、霊長類以外のどの哺乳類を比較対象にもってきても構わない
そういった形質に関わる発生過程は深いレベルで保存されているから
「サンプル数1」問題が特に大きく立ちはだかってくるのは、言語など、ヒトに特有の形質や、進化心理学者が仮定している、ヒトの認知的な適応の多くについて(Buller, 2005; Hauser, Chomsky, & Fitch, 2002; Fitch, 2005)
人間の自己家畜化仮説は「サンプル数1」問題が問題となるかならないか
後述
他にも人間の認知的な適応の評価を大いに複雑にする要因として文化
自己家畜化仮説は、適応は生物学的なものであり、自然選択の結果によるものだと主張する
しかし、人間のもつどんな認知能力でも、その形成には文化が関わっている
莫大な文化の力が人間の認知の発達に影響を及ぼすのだとすれば、人間の複雑な認知的・情動的形質の発達において、純粋に生物学的な適応の要素を(文化的な適応に対立するものとして)区別するのはやさしいことではない
通常、そういった試みで探求されるのは「文化的普遍性(全人類の文化に共通して見られる要素)」であり、それは自然選択と関係があるとされている(Cosmides & Tooby, 1997)
しかし、文化的普遍性があったとしても、自然選択以外の理由による普遍性ということもありうる
たとえば、Kirby, Dowman, & Griffiths, 2007によれば、言語の特質のなかで真に普遍的なのは、文化によって伝達されるということだけである。彼らやWimsatt & Griesemer, 2007の分析は、「足場(スキャフォルディング)」という概念によるもので、文化的環境は言語獲得やその他の認知的行動を可能にするだけではなく、それらを構造的に支える足場になっていると強調している。この観点では、文化的普遍性は文化的足場の一般的特徴にすぎない。Heintz et al., 2013も参照
文化的普遍性の議論がしばしば見落としているのは、一般的な文化的過程の普遍性のなかには、生得的に見えるものもあるということである。
推定上の言語的な文化的普遍性についてはKirby, Dowman, & Griffiths, 2007を参照
Norenzaayan & Heine, 2005は、文化的普遍性を繊細に分析し、価値のあるものとないものの選別を試みている
推定上の文化的普遍的な情動表出についてはElfenbein & Ambady, 2002を参照
懐疑的な意見についてはRussell, 1994を参照
対照的に、ヒトにおいて、能動的な活動によって選択された形質の最良の証拠として挙げられるのが、乳糖不耐症などの形質だが、これは文化的普遍性のある形質ではない(たとえばAoki, 1986)
人間の認知的な進化に関しては多くの疑問があるが、こういった理由から、主流の進化生物学的な基準からすれば、満足な答えが得られることは永遠にないかもしれない
過去の選択が何を対象にしてきたかに関しては特にそうだ
自己家畜化仮説がこうした部類に属するものかもしれないことは最初から認めておいたほうがよい
今述べているような支障があるので、自己家畜化仮説は謙虚になったほうがよいという忠告もあがっているわけだが、これを完璧に無視している人が多い
特に、あるかなきかの証拠を頼りに、ある形質が適応的だと決め込んで、人間性について大胆な主張をしようとする向きがそうである
主流の進化生物学では、説得力のある証拠を提出することが求められる。それが基準である
ところが、人間行動学も社会生物学も進化心理学も、そのような基準を能天気にも無視してしまう傾向が圧倒的に大きい
進化心理学者は多くの点で最もたちの悪い違反者である
進化心理学はそれに先立つ分野とは異なる前提に拠っており、十分な証拠が必要だという経験主義的な批判をきわめて効果的に遮断しているのである(→付録8. 進化生物学・進化人類学・進化心理学)
比較法を適用するためには生物学的情報が必要だが、進化心理学ではそのかわりに第一原理を立てるというアプローチを採用している
よくあるのは、更新世の不特定の時期に人類がどのような環境下に置かれていたかを決め込み、それを前提としてリバースエンジニアリング(逆行分析)という手法によって、自然選択がどのように「人間の心/脳に影響を及ぼしたはず」かを推察する(Dennett, 1994, Dennett, 1995はリバースエンジニアリングを熱烈に応援している。Pinker, 1999も参照。DennettもPinkerもバックグラウンドは認知科学や心の哲学であることに注意したい。認知科学や心の哲学ではリバースエンジニアリングがよく用いられ、それほど疑わしくはないにしても若干乱用気味だといえる)
リバースエンジニアリングができるものだろうか?
リバースエンジニアリング
これを進化に応用する場合、まず最初に行うのは、問題(ここでは、環境におけるある特徴)を決定すること
表現型の「デザイン」はその問題に対する解決策である
次に最適な解決策への寄与という点からパーツのデザイン(表現型の特徴)を説明する、といった具合
リバースエンジニアリング分析を生物学の領域にまで拡張できるかどうかは、進化によってできた生体構造が人工的にデザインされたものにどの程度似ているかにかかっている
類似性は確かにあるので、生物学的な適応が起こっている可能性を示唆する上で、リバースエンジニアリングが少なくとも限定的ではあるが役に立つと正当化することはできる
しかし、この類似性はしばしばまったくの表面的なものであり(Gray, 1987; Gould & Lewontin, 1979)、進化心理学の適応主義者的な主張を支えるにはとてもじゃないが重みが足りない
生物学の領域でのリバースエンジニアリングに課される、ある種の制限について考えてみよう
進化の保守的な性質から直接生じる制限
ゼロスタートで最適なものを生み出すのではなく、すでに存在している発生過程に手を加える(ティンカリング)だけだ、という事実
エンジニアリング的な観点からすると、生物の複雑な表現型の形質はうんざりするほどごちゃごちゃである
ドイツの解剖学者ルートヴィッヒ・エディンガーは脊椎動物の脳の相同性を見出すパイオニアだった
この相同性をもとに、エディンガーは脳の進化の歴史を再構築しようとした(Edinger, 1900; Edwin & Rand, 1908)
魚類から哺乳類に至るまでの過程で、脳幹の上に複数の層を付け加えて脳が進化したという概念を提案した
1960年代には、神経科学者のポール・マクリーンが、ヒトの脳は彼が爬虫類の脳と呼ぶ状態を土台として進化してきたという包括的な仮説を提唱し、脳を進化の段階に対応する3つの部分に分けた(MacLean, 1970; MacLean, 1982, MacLean, 1990も参照)
1つ目の「爬虫類の脳」
前脳の最も原始的な部分には、彼によれば、種特異的な儀式的・本能的行動や、呼吸など恒常性機能の基盤となる部分が含まれている
解剖学的には脳幹とそれに付随する基礎的な構造のことだと考えてよい
2つ目は「古い哺乳類の脳」
爬虫類の脳の外側をマクリーンは「辺縁系」と呼んだ
これにはニューロンの集まった多数の領域が含まれており、領域間は相互に連絡している
辺縁系は性的なものから感情的なものまで、情動的反応を支えている
マクリーンは辺縁系は最初の哺乳類の出現時に進化したものだと考えた
3つ目の部分は「新皮質」と呼ばれるもの
マクリーンによればこれが見られるのは霊長類だけ
新皮質は辺縁系を覆い、言語や抽象化、計画、その他の高次脳機能の基盤となる
この三位一体脳仮説には多くの問題がある
爬虫類脳の一部は魚類を含む全ての脊椎動物に見られる(Cory, 2002)
辺縁系の一部は爬虫類にも存在する(Bruce & Neary, 1995)
新皮質を持つのは霊長類だけではない(Kaas, 1987)
この仮説は爬虫類を出発点として脳の進化を語っているが、脳の進化はそれよりもずっと前から始まっている
近年のエヴォデヴォ研究により、単に脳だけではなく、人間ご自慢の新皮質までもが、最初に脳を持つことになった扁形動物の脳と相同性を持っている事が判明した
この動物と私達の共通祖先は5億年前、カンブリア大爆発以前に生存していた
神経系における高度に保存された遺伝子発現パターンについてはNoda, Ikeo, & Gojobori, 2006を参照。Mineta, Ikeo, & Gojobori, 2008も参照
扁形動物が出現してから魚類が出現するまでの間に、脳の進化では多くのことが起こっているし、魚類が出現してから爬虫類が出現するまでの間にはさらに多くのことが起こっている
進化の過程にはすでにあるものに手を加えて改造する(ティンカリング)という保守的な性質があるが、わたしたちの脳には、おそらく他のどの器官よりも、その性質が反映されている
実際、脳の改造は脳ができる以前の段階にまでたどることができる
これは、現生のクラゲに見られるような、少数のニューロンのネットワークだけで構成されている神経系のこと
ニューロンは本質的に同じだが、ニューロンが特に効率的だから変わっていないというわけではない
クラゲから受け継いだニューロンは、電気信号を伝えるという観点からはきわめて出来が悪い(Linden, 2008; Boero, Schierwater, & Piraino, 2007)
不出来でもクラゲにとっては僅かなニューロンだけで足りるので問題ない
多数の複雑な生物にとってはニューロンは最適とはとてもいえない
軸索がミリエン化して髄鞘をもつようになったのは進化の過程で間に合わせ的に起こったものであり、その結果、状態はある程度は改善されている
もしわたしたちのニューロンがもっと効率的に電気信号を伝えることができるものだったら
これほど大きな脳は必要なかっただろう
皮質のニューロンは誕生した場所から身を落ち着ける場所へとはるかな長旅をする必要もなかっただろう
でなければ、わたしたちが様々な神経学的な障害に悩まされることもなかったはずだ(Gleeson & Walsh, 2000)
筋ジストロフィーは、ニューロンの移動に伴う危険に帰因する疾病の一例である(Yoshida et al., 2001)
カルマン症候群も同様である(Cariboni & Maggi, 2006)
脳の表面に位置するニューロンでさえ、脳の奥深くで生成されてから表面まで移動してこなければならず、これもまた、非効率的な相同性の一つ(Kriegstein & Noctor, 2004)
私達の脳の神経回路も、非効率なものが多い
ゼロからのデザインではなく、つぎはぎ
ゲアリー・マーカスはこれをいみじくも「クルージ」(kluge: その場しのぎの間に合わせで作ったもののこと)と呼んでいる(Marcus, 2009)
言語に関する神経回路にもクルージは入り込んでいる(Marcus, 2009; Fitch, 2012)
脳形成における主要な原理の一つは、「ニューロンの再利用」
ある機能を持つように進化した神経回路が、進化の過程でリサイクルされ、違う目的に利用されたり配置換えされたりして、まったく異なる役割を果たすようになる(Anderson, 2010)
全能の神がデザインした脳ならリバースエンジニアリングが可能になるはずだが、進化により作り出された脳はそう簡単にはいかない
自己家畜化仮説は「なぜなぜ物語」以上のものだろうか?
主流の進化生物学には厳格な基準があり、またリバースエンジニアリングという別ルートからその基準を回避するのが不可能であるとすると、自己家畜化仮説を検証する方法は一体どういうものだろうか?
これはよくある「なぜなぜ物語」でしかないのだろうか?
私は違うと思う
原則として、少なくとも、脳の構造や内分泌系で保存されている相同的な形質を、この仮説の検証に利用することができる
それらを用いて「サンプル数1」問題を克服し、比較法をまっとうに適用できるはずだ
自己家畜化仮説の穏健なバージョンは、ヒトもボノボも、従順性という点において、多くの家畜化された動物に見られるのと同じ選択を経験してきており、チンパンジー的な状態に比べれば従順性が高くなっているというもの
本質的にチンパンジーは、わたしたちが家畜化された集団になる前の野生の祖先として扱われる
それを基準として、自己家畜化の効果を見積もる
それゆえ、ヒトとボノボはチンパンジーよりも向社会的であることが期待される
ヘアはさらに論を進め、従順性はペドモルフォーシスによって得られたとする(Wobber, Wrangham, & Hare, 2010b)
実際、ヘアはヒトとイヌが収斂進化していることを示すのに特に熱心である
家畜化された他の動物についてもペドモルフォーシスがあったことはこれまで見てきたとおり
しかし、すべてがそうだったというわけではない
実験的に家畜化されたラットは従順性が高まったが、ペドモルフォーシス的になっておらず、少なくとも明白にそうなっているわけではない
本書では一貫して系統関係を重要視しているので、ヒトなどの霊長類は、イヌやキツネなどの食肉類よりも、ラットなどの齧歯類のほうに近縁であると一言言っておこう
というわけで、ペドモルフォーシスという要素は穏健バージョンの自己家畜化仮説にとっては重要ではないといえるかもしれない
強硬派の自己家畜化仮説では、従順性を対象とする選択による収斂進化は、神経内分泌系の変化によって起こったとする
私はこちらの方に興味を惹かれる
その変化は、一方ではヒト(とボノボ)、もう一方ではイヌやネコ、ラットなどの家畜化された動物に、並行して起こったという
言い換えれば、行動だけではなく、内分泌系と脳にも収斂進化による相同的な要素があることが期待される
内分泌系の中でも特に関連性が強いのはストレス反応の支えとなる視床下部-下垂体-副腎系(HPA系)
これは哺乳類のみならず全脊椎動物で高度に保存されている(Denver, 1999; Denver, 2009)
脳に関しては、哺乳類全般で情動行動に関わる神経回路を含む辺縁系に注目すべきだろう(Panksepp, 1982; Panksepp, 1988; Panksepp, 1998)
私たちの情動的な活動の中心に辺縁系があることは、大脳新皮質を持たずに生まれてくる稀な例を見るとよく分かる
注目すべきことに、このような人にも人間的な情動や感情的な行動が全て備わっている(Panksepp, 2003)
この人達は全般的に十分幸福で社会的によく順応しているように見える
脳が全部備わっている人に比べて若干情愛が深いかもしれない
実験的に大脳新皮質を取り除いたマウスでも、通常のマウスが示す情動行動は全て見られる(Panksepp et al., 1994)
もしも、ヒトやボノボにおいて、従順性を対象とする選択が実際に起きていて、そのためにヒトの行動がイヌなどの家畜動物と同様のものに収斂進化しているのだとしたら、辺縁系にその証拠が残されているはずだ
穏健バージョンの自己家畜化仮説もある意味で面白いと思う
われらヒトの成功を、高い社会性と協力的な行動をするという他に類のない能力に帰する、斬新な説明を提供してくれるからだ
従来は、どうやってヒトが地球を支配するに至ったかを説明する際には、ヒトの知性ばかりがひたすら強調されてきた
特大サイズに見える人間の大脳新皮質でこそ、大きな進化が起こったと考えるのがこのような見方である
近年、知性のある特定の面が最も注目を集めるようになってきた
それは社会的知性である
社会性と社会的知性
霊長類は最も社会的な哺乳類の一つであり、また最も知能が高い哺乳類の一つ
ヒトは霊長類の中で最も賢く、また最も社会的でもある
霊長類を扱った調査では、多数の研究で大脳新皮質のサイズとその種が生活している集団のサイズとの間に相関があるという結果が得られている(Humphrey, 1976; Aiello & Dunbar, 1993; Dunbar, 1998; Clutton-Brock & Harvey, 1980; Kudo & Dunbar, 2001)
Dunbar & Shultz, 2007は社会的知性という概念をさらに精緻化している。一方、Healy & Rowe, 2007; Holekamp, 2007は批評している。
社会的知性仮説は人間の認知能力をモザイク的観点から見たものの一つだと考えるべきである。この観点は社会生物学者や進化生態学者、進化心理学者など、さまざまな適応主義者に膾炙している。モザイク的観点では、自然選択は制限されずに特定の認知能力を最適化する方向に働く。
これに反対するのか共分散的観点である。共分散的観点では、社会的認知能力など特定の認知能力は、知能全般が高まる方向への選択によってパッケージとして進化する。後者の立場は特に発生メカニズムの保存を独調する点で、エヴォデヴォのほうに一致する
新皮質のサイズと集団サイズとの間の相関から、ヒトの巨大な新皮質は複雑な社会的相互作用をうまくこなすことを対象とする選択が起こった結果である、と考える研究者もいる(Byrne & Corp, 2004)
この観点によれば、集団が大きいほど社会的相互作用が複雑になり、それには政治的な手際のよさが必要となり、そうすると大脳新皮質にあるようなニューロンがもっと多く必要になると考えられる
ヒトの新皮質が最大なのは、「マキャベリ的知性」が必要であり、当然ニューロンも大量に必要だからだ、というのである(Byrne & Whiten, 1989; Gravilets & Vose, 2006)
Gigerenzer, 1997は部分的に批評している
これがもっともらしい「なぜなぜ物語」ではないのは確か
この場合は比較法をうまく適用できるから
しかし、神経生物学的な観点からは問題がいくつかある
脳全体のサイズや脳の特定領域のサイズが、ある特定の行動や認知機能に対して因果的重要性を持つと仮定している点
サイズは大まかな尺度であり、計算能力に直接関係するものではない(Healy & Rowe, 2007)
また、脳のサイズと認知機能との相関について、そう簡単に因果関係を打ち立てられるものではない(Francis, 2004)
この場合、その点が特に問題となる
複数の種のデータを比較すると、集団サイズと大脳新皮質のサイズの間に相関関係はあるものの、集団サイズが大きくなっても新皮質のサイズはごくわずかしか変化していないのだ(Charvet & Finlay, 2012; Charvet, Darlington, & Finlay, 2013)
新皮質は物質的・生態的な環境を含めた多岐にわたるものごとについての学習に関わる領域であり、社会環境だけに関わっていないことを考えれば、それは予測できるだろう
最近、霊長類について広く行われた研究では、社会的関係をやりくりする能力を対象とする選択の結果、大脳新皮質のサイズが変化したという証拠は、ほとんど見出されなかった(Charvet & Finlay, 2012)
さらに、霊長類のみならず他の哺乳類も含めた調査によれば、脳全体のサイズから大脳新皮質のサイズが予測できることがわかり、ヒトの大脳新皮質もその予測の範囲内に収まる(Finlay, Darlington, & Nicastro, 2001; Finlay & Darlington, 1995(発生過程の保存を含む))
つまり、霊長類では脳全体のサイズに対する各部分のサイズの比率が高度に保存されているのだから、人間の脳において、社会的な計算のすべてを行っている大脳新皮質は、認知機能にまったく無関係な部分を含む脳の他の部分に比べて特に大きいわけではない
また、前頭葉(人間の最高次認知機能の場であるとされる部位)も、霊長類の標準からして特に大きくはない(Barton & Venditti, 2013)
さらに驚くべきことに、人間の脳を構成するニューロンのうち、大脳新皮質にあるのはわずか19%のみで、この数字は他の霊長類と大して変わらない(Herculano-Houzel, 2009)
絶対数で見れば、人間の大脳新皮質にあるニューロン数は他のどの霊長類よりも多いのだが、比率で見れば、大脳新皮質のニューロンの比率が特に高いというわけではない
競争か協力か
社会的知性仮説は、競争的な社会的相互作用に重きを置いている
確かに私達の競争的な相互作用は哺乳類の中で最も複雑である
一方で、他の哺乳類と比べてヒトの特色が最もはっきりと現れているのは、協力的な社会的相互作用
しかし、集団で協力して何かを行うということは、何よりもその前に、協力して事を行おうという意志がまずあるはず
つまり適切な動機が存在するはず
この動機の土台となるのは情動的な好み
自己家畜化仮説によれば、情動(主に恐怖や攻撃性)の変化が人間の認知面での進化の原動力だったのだという
仲間の人間がそばにいるときに感じる恐怖や攻撃性が低下していること、つまり従順性が高まっていることこそが、わたしたちの協力的相互作用の基礎となっている
ここでヒトとチンパンジーの協力的傾向を比較するのが役に立つ
マックス・プランク研究所のマイケル・トマセロらが多くの研究を行っている
トマセロは協力的相互作用として重要な基準を3つ挙げている(Moll & Tomasello, 2007より。これはBratman, 1992を修正したものである。トマセロはヴィゴツキーによる知性論の支持者である。レフ・セミョノヴィッチ・ヴィゴツキーはロシアの偉大なる発達心理学者だ。ヴィゴツキーによれば認知の発達には社会的/文化的環境が中心的な役割を果たし、発達中の子どもはそのような環境を蓄積的に内在化していく。Tomasello, 2008; Tomasello & Carpenter, 2007も参照)
第一は、参加者それぞれが共同の目標を承知し、その目標に対する責任感を共有していなければならない
第二は、参加者がその目標の達成のために相補的な役割を流動的に果たす意欲をもっていなければならない
第三は、互いに助け合うこと、つまり、参加者が自らの特定の役割を果たすだけではなく、必要な際には仲間画素の役割を果たすのを進んで助けなければならない
霊長類の多くは集団活動に参加するが、真に協力的な行動に必要なこの3つの基準を満たす活動はわずかしかない
協力の例としてしばしば喧伝されるのは、チンパンジーが集団で行う狩り
一頭の「勢子役」が獲物を特定の方向へ置いたて、複数の「妨害役」が獲物の逃げる方向がそれないようにし、最後に「待ち伏せ役」が密かに近づいて獲物を殺す(Boesch & Boesch, 1989)
だが、ヘンリケ・モルとトマセロは、「勢子役」「妨害役」「待ち伏せ役」という語は、チンパンジーの狩りで実際に起こっていることに対して過剰に擬人的な解釈をしている可能性があるとして、説得力に満ちた議論をしている(Moll & Tomasello, 2007; Hermann et al., 2010)
集団で行う借りは目標や計画が共有されていなくても達成できるかもしれない
むしろ、各個体がそのときどきに特定の場所から獲物をただ追いかけているだけ
狩りの最中、チンパンジーが互いの行動に反応しているのは確かだが、そこには真の協力的行動の特徴となるような「共同性」(専門用語で言うなら「志向性の共有」)はない
実験室での研究は、チンパンジーの狩り行動について、この過剰な解釈を削ぎ落とした説を裏付けている
人間が育てたチンパンジーの若者を被験者として、人間と協力する能力について、まず問題解決ゲームで、次に純粋に社会的なゲームでテストした
問題解決ゲームではチンパンジーはうまくやったが、ただしうまくいったのは人間が常にいるときだけだった
ちょっとでも中断があると、人間をパートナーとしてゲームを再開することができなかった
純粋に社会的なゲームでは、協力的行動はまったく始まりもしなかった(Warneken, Chen, & Tomasello, 2006)
一方、人間の子ども(18~24ヶ月)を被験者とした実験では、まったく異なる結果が得られた
問題解決ゲームにも社会的ゲームにも子どもは熱心に協力した
大人がゲームに参加するのをやめたときには、子どもたちは大人を再び参加させてパートナーにすることを強く望んだ
ということは、生後18ヶ月までには、人間の子どもは共有された目標に向かって熱心に協力して献身するようになっており、協力的行動の最初の基準を満たすようになっている
チンパンジーでは、共同作業へのそのような関わりはまったく見られない
他の実験では、人間の子どもは第二(相補的な役割を果たすこと)と第三(相互に助け合うこと)の基準をも満たしているが、チンパンジーの若者はそうではないことが示されている(Warneken, Chen, & Tomasello, 2006; Warneken & Tomasello, 2006)
協力的行動にはコミュニケーションが必要である
人間の言語によるコミュニケーションは、もちろん、比類のないもの
だがそれだけではなく、人間はまた協力するという意図を持って非言語コミュニケーションを行う能力でも、チンパンジーより優れている
まだ言語スキルをそれほど獲得していない子どもでも、もっと年齢の高いチンパンジーよりも上手にコミュニケーションをとって協力することができる
たとえば、チンパンジーはさまざまなジェスチャーを行う
しかし、指差しをして他の個体の注意をそちらに向けさせるという行動は、いまだかつて報告例がない(Tomasello, 2008; Hermann et al., 2007)
人間の子どもは、12ヶ月までには指差しによって自分が何をしたいのか示すだけではなく、大人が欲しがっていると思われるもののありかを示すこともある(Warneken, Grafenhain, & Tomasello, 2012)
これほど幼いときでさえ、人間の子どもは非功利的な理由から他者に情報を与えようとする意欲を持っている
しかし、チンパンジーは、人間相手であれ他のチンパンジー相手であれ、このようなやり方で情報を共有しようとすることにまったく興味を示さない
ということは、この700万~500万年の間に、人間とチンパンジーの心理にはかなりの相違が生じているわけだ
進化によるこの分岐はもともと情動的なものだったのか、それとも計算的なもの(社会的知性)だったのだろうか
この問いかけはじつは間違った二分法を前提としている
明らかに、人間においては情動も知能のどちらも、さらには情動的知能も同様に、チンパンジーに比べて変化している
しかし、自己家畜化仮説では、進化の口火を切った心理的変化は情動面だったとされている(Hare et al., 2007; Tomasello et al., 2012)
キツネの家畜化実験を根拠として、ヘアは視床下部-下垂体-副腎系(HPA系)と大脳辺縁系各部について変化を探すことを提案しているが、そうした変化は自己家畜化仮説では必須の要素ではない。この仮説の強硬派はそうした変化が中心的かつ必須であるとするだろう
人類の進化のどこかの時点で、他個体に対してより寛容になり他個体の存在に対する攻撃性や恐怖が低下した個体が複数生じてきたというのである
ブライアン・ヘアらは、ボノボとチンパンジーについて興味深い一連の実験を行っている
まず社会的寛容性を調べ、次に共同目標を達成する能力があるかどうか調べた(Hare et al., 2007)
社会的寛容性については、一緒に食物を与えることで検証した
チンパンジーは独り占めの衝動にあっさりと屈した
ところがボノボは難なく果物を分け合い、熱のこもった性的な戯れをするという特有の行動でもって、緊張を緩和した
ボノボはチンパンジーに比べて互いに対する寛容性が高く、明らかにストレスもあまり感じないようだった
次に、ボノボ同士、あるいはチンパンジー同士をペアにして、協力して共通の目標を達成する能力をテストした
一緒にロープを引っ張り、二枚の皿を引き寄せるという課題
2枚のうち1枚だけに食物が載っている場合
チンパンジーはまったく協力しようとせず、その結果、食物を手に入れられなかった
ところが、ボノボはうまく協力して皿を引き寄せ、食物を互いに分け合った
二枚のさらに両方とも食物が載っていて独り占めが不可能な場合
チンパンジーもボノボもうまくロープを引っ張って課題を達成した
協力が必要な場合、ボノボはチンパンジーよりもよい結果を出す
さらに、ボノボはまったく初対面の相手とも食物を分け合うことができる
これは人間と同様の行動だが、チンパンジーにはこれができない(Tan & Hare, 2013)
これらの実験が示しているのは、協力という点でボノボのほうが優れているのは、ボノボのほうが社会的寛容性が高いことと関係があるということ
ラットでもイヌでも、家畜化された哺乳類では社会的寛容性が高くなっているのが特徴
寛容性が高くなる方向に収斂進化が起こっているのだろうか?
ヘアらは、自己家畜化過程で寛容性が進化するには、特別な神経内分泌系の変化が必要になるわけではないということを強調している
寛容性の進化は、脳の発達がペドモルフォーシス的であることによって社会的行動が幼若化した結果として起こった、というのだ(Hare, 2011; Wobber, Wrangham, & Hare, 2010a)
これは自己家畜化仮説の穏健バージョンである
わたしがこれを「穏健」と呼ぶのは、広範な環境条件下で、移動が制限されている場合にペドモルフォーシスによって攻撃性の低下を対象とする選択が行われることをほのめかすだけだからである(Wobber et al., 2012)
ヘアは穏健バージョンの自己家畜化仮説を裏付ける二種類の証拠について議論している
1つ目の証拠は、行動面での類似性、特に攻撃性の低下についてのもの
イヌはオオカミよりも攻撃性が低い
オオカミの群れ同士がかちあうと、生死に関わる事態になることが多い(Mech, 1994; Mech et al., 1998)
一方、野生化したイヌの群れでは、肉体的な実力行使に至るのは稀(Macdonald & Carr, 1995)
群れ内部での攻撃性も、オオカミのほうがイヌよりも高い
本書で見てきたように、ネコやフェレットなどその他の食肉類でも同様に攻撃性が低下しており、アライグマはその初期過程にある
仮にチンパンジーの状態が祖先的なものだとすれば、ヒトの攻撃性は祖先よりも低下していることになるし、それより程度は低いがボノボでも同様である
これは確かに自己家畜化仮説と矛盾しないが、しかし、証拠として説得力があるとはとてもいえない
2つ目の証拠は、ペドモルフォーシス
ヘアは時折、ヒトやボノボやイヌで見られるペドモルフォーシスの証拠を、自己家畜化を裏付けるものとして扱っている
しかし、ペドモルフォーシス的な情動の発達と、それに関連し、その土台となる神経内分泌系に話を絞るべきなのだ(Hare, 2011)
イヌではその両方についての十分な証拠がある
さらに攻撃性の高さあるいは低さを対象として選択されたマウスでは、予想通り、社会的行動の発達にヘテロクロニー的な変化が見られている
しかしながら、実験的に家畜化されたラットではそのような変化は観察されていない
ボノボでは行動の発達面でペドモルフォーシスが見られるようだが、ヒトではそのような証拠はわずかしかない
全体的に言うと、どの家畜哺乳類も野生の祖先より従順だが、その一方で、ペドモルフォーシスについては、かなり見られるものからほとんど見られないものまで、その程度は様々
ペドモルフォーシスは家畜化された表現型に普遍的に見られる要素ではないのである
私見では、自己家畜化仮説にとって、強硬バージョンの場合でさえも、ペドモルフォーシスは実は必要不可欠な要素ではないと思う
自己家畜化仮説の強硬バージョンは、イヌやネコのような家畜化された種や、ヒトやボノボのように自己家畜化が起こったと推測される種では、神経と内分泌系が同時進行的に変化したものと予測している
内分泌系という要素は最もアプローチしやすく、キツネやラットで行われてきた家畜化実験からすでに有益な結果が得られており、その結果をもとに、さらに研究が進められている
キツネとラットは系統的にかなり遠く、6000万年以上前に分岐して以来、別々に進化してきた
しかしそれでも、家畜化によって、相同な生理的ストレス反応に変化が引き起こされたという点で、興味深い類似性が見られる
自己家畜化仮説の強硬バージョンでは、チンパンジーと比べて、ヒトやボノボでも同様の変化が起こっていると推測している
ボノボとチンパンジーでは、社会的な問題が生じた場合の内分泌系の反応が異なっていることを示唆する研究もある
競争的な状況に対し、チンパンジーの雄ではテストステロンのレベルが上昇するが、ボノボではそのような上昇は見られない(Wobber et al., 2010)
そのような状況下でチンパンジーがボノボよりも攻撃的なのは、テストステロンのレベルの上昇によるものかもしれない
競争的な状況でボノボのコルチゾルのレベルが上昇するという事実があり、これはキツネやイヌ、ラットにおける社会的刺激に対するストレス応答の低下の証拠と一致するかもしれないし、しないかもしれない
辺縁系はまだ注目されるようになったばかりであり、特に扁桃体、および扁桃体と脳の他の部位との連絡についての研究が行われ始めている
ここでのテーマと特に関連性が高いのは最近行われたヒト上科の比較研究
複数の死体解剖から、ヒトの扁桃体部分は霊長類のなかでは特にボノボによく似ていることが示されている(Semendeferi, 1998; Barger, Stefanacci, & Semendeferi, 2007; Barger et al., 2012)
他の研究では、ボノボとチンパンジーでは扁桃体と脳の他の部位との連絡経路に違いがあることが認められた(Rilling et al., 2012)
また、ヒトでは、扁桃体と大脳皮質との連絡の強さ(Bickart et al., 2012)も、扁桃体の体積(Bickart et al., 2010)も、個人の社会的ネットワークのサイズと関連するという結果が得られている
これらの研究を発表した研究者の中には、こういった解剖学的な相違と、ヒト、ボノボ、チンパンジーにおける共感性、向社会的行動、さらには性的行動との相違との関係について推測している人もいる
だが、それは時期尚早だとわたしは思う
ヒト上科において、脳と行動の間にこのような関係があると確信するには、この手の研究をもっとたくさん行わなければならない
自己家畜化仮説の強硬バージョンについて言うなら、たとえばオオカミとイヌについて、そのような相違があることを明確にするのが肝要だろう
家畜化を行う者自身が家畜化されたのか?
十分な知識が得られているわけではないので、穏健バージョンにせよ強硬バージョンにせよ、自己家畜化仮説に評決を下すのはまだまだ早すぎる
だが、一種の評価基準として、また将来の研究を促す刺激として、自己家畜化仮説は、人類の進化についての従来的な考え方に対する対照的な観点を、重要な2つの点に関して提供している
一つは、人間のいわゆる「高等な」認知機能やその基盤となる神経回路から、哺乳類すべてが共有する、情動的な行動を支える脳の部位へと、注目する点が変わってきたということ
もう一つは、人間の社会的行動の進化に拍車をかけてきたのは何かと考える際に、従来では競争的な相互作用ばかりが取り沙汰されてきたが、それよりもむしろ、協力的あるいは向社会的な面を重要視するという点
目標を共有し、そのために協力するという他に類を見ない能力こそが、わたしたちと他の霊長類との最大の違い
結果、人間は集団で環境そのものを構築するまでになってしまった
将来の進化のほとんどは、人間が作り出した環境で起こるだろう
地球上の生命は人新世という新たな時代に入ったのだ
→第15章 人新世